日本血管外科学会の沿革
日本血管外科学会 名誉会員
三島 好雄
1960年,それまで解剖学・生理学・薬理学・病理学・内科学・外科学・皮膚科学・整形外科学・その他の分野に分かれて別個に行われ,各研究者間の連絡が殆どなかった『脈管学』の研究に研究者相互の交流,諸外国との意見交換,さらには一般への啓蒙などを目的として日本脈管学会が設立された.その後10年,この間に既に血管外科が独立した独自の診療科となっていた欧米の専門施設に留学した若手の血管外科医が相次いで帰国し,それまで極めて限られた国内施設でしか行われていなかった血管外科も普遍化するようになった.
この頃,外科学会や脈管学会などを通して親しくなった当時30歳代後半から40歳代前半の若手の血管外科医がグループを作り,血管外科の研究について本音を忌憚なく語り合える場として血管外科研究会を発足することし,毎年 1 回外科学会総会の夜に治療困難な症例や合併症などをテーマとして 3 時間程度の討論集会を計画し,1973年 4 月に京都で『Angiodysplasia』の主題で第 1 回の研究会が開催された.当時の会則は今考えると汗顔の至りであるが,高名な大教授も含めて正当な理由なくして 2 回続けて欠席すると除名という厳しいものであり,セミクローズドで,外科学会開催地の若手研究者が当番として会の世話をすることとした.この形態で1989年の第17回まで運営してきたが,この間に血管外科研究者の数も著しく増加し,翌1990年から血管外科フォーラムとしてオープンとし,広く演題を一般から公募することとした.さらに移植外科,微小血管外科手技の導入,消化器悪性腫瘍根治手術への血管外科手技の応用interventional radiologyの普及など血管外科をめぐる各領域が一堂に会して各々の立場から討論する機会が必要と考えるに至り,血管疾患の治療を中心とする従来の立場を捨て,血管外科手技を広く治療に取り入れている移植外科,脳神経外科,消化器外科,形成外科,interventional radiologyなどの領域を全体としてカバーする目的で『血管外科学会』へと発展的解消を遂げ,血管外科研究会として数えて第20回から新しい血管外科の総合学会として1992年に新たなスタートを切った次第である.
学問の進歩には各領域間の交流が不可欠であり,交流によってさらに新しい分野が開拓されるものと考えており,アメリカやヨーロッパにない日本独自の理念をもった本学会が多くの皆様に理解され,今後も順調に発展してゆくことを期待している.
日本血管外科学会創設期の記録
戸田中央総合病院 特任顧問
元東京医科大学外科学第二講座主任教授
石丸 新
平成4年(1992年)、血管外科研究会および同フォーラムで培われた血管外科の臨床および研究を統合する学術団体として、日本血管外科学会が創設(改称)された。同年7月に学会事務局が東京医科大学外科学第二講座に委譲されたが、その背景には、研究会を主導されてきた故三島好雄先生(東京医科歯科大学第二外科教授)の盟友である故古川欽一先生(東京医科大学第二外科教授)が、関東地区に所在し血管外科を標榜する講座の主任教授として円滑な事務局運営に適すると判断された事情もあったと考えられる。
同講座の助教授という立場であった故か、愚生が学会幹事兼事務局担当として慣れない事務作業を拝命する仕儀となり、まずは学会定款の起草に着手した。しかし、何分にも先例がなく、各種学会の規則・規定を渉猟するほかなかった。また、広く会員の参画を得ることを目的に、全国7ブロックの地方会組織を立ち上げるにあたり、すでに各地域で活動実績のある研究会や同好会との調整に苦慮した記憶がある。
ある朝、学会のアイキャッチを作ろうと思い立ち、当時の最先端ソフトであったMacDrawを用いてロゴマークの自作に取りかかった。JSVSの組み合わせ文字自体は比較的うまく仕上がったものの、これを学会名で囲む描画において微妙なズレが生じてしまい、当時のコンピュータデザイン技術の限界を痛感することとなった(図1)。
学会雑誌の発行にあたっては、新たに投稿規定を策定するとともに、提出された英文抄録に誤訳のないよう、親交のあった故J.Patrick Barron教授(東京医科大学国際医療コミュニケーションセンター)に校閲をお願いした。Barron教授には、英文査読者としてばかりでなく、その後の学会の国際化においても多大なご貢献を賜った。学会の顔ともいえる会誌の表紙は、白地(リンパ)に青(静脈)を基調とし、下端に学会ロゴを配した赤帯(動脈)を設ける装丁とした。さらに、青色部分の下端を円弧状に描き、これを背表紙から裏表紙にまで連続させるという、密かな仕掛けを施している。
学会発足当初は、年度予算の大半が会誌発行に充てられており、会員への配布に要する郵送料の削減が喫緊の課題であった。そこで、郵送料が格安となる第三種郵便物の指定を受けるべく、発行部数500部以上、年4回の定期出版を条件とする学術刊行物の認可取得を目指した。しかし、投稿論文のみでは定期刊行の要件を満たす掲載本数を確保できなかったため、総説や地方会記事などのコンテンツを加えるとともに、総会プログラム集に原著論文1編を掲載して定期発行号に組み入れる方策を案出した。これらの工夫を重ねた結果、創刊(1992年10月)から8か月後の1993年6月14日、学術刊行物としての認可を取得することができた。
そのほか、学会機関誌の出版に関わる広範な業務については、委託先であったマイライフ社の多大なご尽力により円滑に進めることができた。しかし、急速に進展するデジタル化の流れには抗しがたく、最終的に出版事業をメディカルトリビューン社へ譲渡するとの理事会決議に至った。事務局としてマ社と業務打ち切りを直接折衝する役回りを担ったが、当方の苦渋の決断をご理解くださった島田社長には、今なお申し訳ない思いを抱いている。
学会事務局をお預かりして11年目にあたる2004年、任意団体であった日本血管外科学会は、特定非営利活動法人(NPO)の認証を受けた。諸事情により翌2005年に学会理事職を返上することとなったが、法人設立時役員の末席を汚させていただいたことは、まさに合縁奇縁というほかない。
日本血管外科学会の基盤作りにあたっては、故中島伸之初代理事長の卓越した決断力と、学会幹事としてご一緒した重松 宏先生の的確な問題解決力が不可欠であった。この間、事務局担当者として、ほとんど独断専行とも言える振る舞いがあったことは否めない。故三島好雄先生、故勝村達喜先生、故田邊達三先生、故古川欽一先生をはじめとする血管外科の先達ならびに諸先輩方から賜ったご温情に甘えたが故と、小稿をもってご寛恕をお願い申し上げる次第である。
50周年記念誌 -日本血管外科学会 50年の歩み-
日本血管外科学会 理事長
東 信良
日本血管外科学会が創設されて50周年を迎え、第50回学術集会を開催されました明石会長の指揮のもとで、50周年記念誌が完成いたしました。これまで当学会が歩んできた歴史や、学会の発展に尽力されてきた諸兄の足跡が記録された貴重な資料として、この度、ご希望される学会員の皆様に記念誌をお配りさせていただく運びとなりました。下記の申込書からお申込みいただけますと、製本された50周年記念誌を無料でお送りさせていただきます。記念誌は会員お一人につき1冊まででございますが、さらに希望される場合には有料でご注文を承ります。
なお、以下にPDFを掲載いたしますので、学会員の皆様におかれましては、PDFを無料でダウンロードしていただくことも可能であります。
会員の皆様のこれまでの学会へのご尽力に深謝いたしますとともに、輝かしい次の50年にもご貢献いただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
■ 日本血管外科学会 50周年記念誌(PDF)















