慢性肺血栓塞栓症の外科治療について思うこと
四国中央病院 院長
加藤 逸夫
 先の第53回 日本胸部外科学会総会(内田雄三会長)に於て,千葉大学中島伸之教授の「慢性肺血栓塞栓症の外科治療」についての講演(ランチョンセミナー)を拝聴した.肺動脈血栓内膜摘除術のお話しであった.世界的にも慢性肺血栓塞栓症の外科治療に積極的に取り組んでいる施設は限られており,我が国では千葉大学と,中島教授の転任後も症例を増やしている国立循環器病センター安藤太三先生のところが代表的な施設と思われる.薬物療法は無効であり,重症型では本法が唯一の救命手段と考えられるが,その手術成績が未だ満足できるものではないこと,改善が期待できる手術適応の決定が容易ではなく,結果はやってみるまで分からないこと,剥離を進めて行く部位に外膜寄りの中膜層の適当な層を選ばなければきれいな剥離が出来ないこと,完全に全て摘除を行わなくても改善が期待出来ることなどが論じられていた.講演とその後の質疑応答を聞きながら,昭和41年から44年にかけての西独ハンブルグ大学心臓血管外科での助手時代のことを思い出していた.そこでは腹部大動脈から下腿に至る動脈閉塞性疾患の血行再建術の第一選択は血栓内膜摘除術であり,殆どの症例に血栓内膜摘除術が行われていて,非常に多くの症例を執刀させてもらった.そもそも慢性動脈閉塞性疾患に対する血行再建術の適応の基本的な問題として,血栓内膜摘除術にしろ,人工血管移植術にしろ,閉塞部の末梢側の動脈が開存していることが不可欠である.末梢に至るまで閉塞がある場合には始めから適応がない.下肢動脈造影と違って,肺動脈造影ではその判定が難しいように思われる.末梢が開存していて,手術適応ありとして血栓内膜除去術を施行する際の手術操作にかかる問題として,中膜の正しい層で全周の剥離を進め,円柱状の血栓内膜が末梢側で次第に細く,薄くなって剥離され,剥離面が末梢側の内膜に滑らかに移行していることが必要である.下肢動脈ではリングストリッパーを用いて剥離を進めるが,末梢側は非直視下の操作となり,円柱状の血栓内膜が途中で切れると弁状狭窄となって開存が望めない.その場合,下肢動脈ではその部位を開いて直視下の処置も可能であるが,肺動脈の末梢では困難であろう.剥離する血栓内膜にはある程度の強さ,弾力性がなければならない.盲目的に剥離を進める際に,時に末梢側で穿孔を来すことがあるが,肺動脈の場合にはその処置はいっそう困難であろう.剥離層が正しくない場合には,一応円柱状の血栓内膜を除去し得ても剥離面は平滑でなく,膜様物が襞状にあちこちに残り,早期閉塞を来す.直視下に剥離が行える部位では処置が可能であるが,末梢側などで盲目的に剥離を行う部位ではしばしば対処が困難である.その後,優れた人工血管の開発もあって,末梢動脈の血栓内膜摘除術は,代用血管を開存部と開存部の間に直視下に吻合して,短時間で血行再建を行うことの出来る人工血管移植術にとって代わられた感が否めない.
肺動脈といういっそう危険性の高い部位であるが,血栓内膜摘除術そのものの問題点は,30余年前に下肢動脈において散々苦労した当時と何ら変わっていないと思われた.何らかのブレイクスルーがなければ,これ以上の手術成績の向上は望めないのではないかと感じたものであった.
やはり30余年の昔,当時全盛であった肺結核外科で,一側肺全摘術が予想される症例の術前検査の一つとして,患側肺動脈をバルーンで閉塞して呼吸・循環動態の変化をみる肺動脈閉塞試験を多数の症例に行ったが,一側肺動脈を完全に閉塞しても殆ど変化が見られない症例もあって,肺の予備力の大きさに感心させられたものであった.慢性肺動脈血栓塞栓症において,閉塞肺動脈の全てについて血行再建が行われなくても,一部の血行再開に成功するだけでも有効であることは十分に考えられることであり,危険をおかして全ての閉塞を解除する必要もないとする中島教授のお考えには全く同感である.重症例では肺移植が考慮されるべきでもあることを岡山大学清水教授が発言されたが,特に我が国ではドナーが容易には得られそうになく,急ぎの間に合わないところに問題がある.
年輩の血管外科医には,血管手術で直視下の手縫いにこだわる方が少なくないように思う.しかしこの30余年を振り返ってみると,血管外科の手術術式にも大きな変化がみられる.手術は非直視下で低侵襲手術の方向に向かって進み,バルーン血管形成術やステント治療などの血管内インターベンションが広く普及した.ロボットを用いた血管吻合すら行われるようになっている.さらに,未だ実験的研究ではあるが,遺伝子を梗塞領域に注入して,血管の新生を期待する試みも行われている.しかしながら,要は,患者にとって最善の治療を行うことが重要なわけであり,講演を拝聴しながら,血管外科医たるもの,たえず新しい治療手段を取り入れる姿勢を保ちながらも,血管外科の基本的手技の習熟に努めて修練を怠らないことの大切さを思い,若い血管外科医達に血栓内膜摘除術の手技をも伝えて行きたいと痛感した次第である.
閉じる